参道

御祈祷種類

表門の位置は平城京の東二坊大路に面する位置にあたり、円形の本柱の前後に立つ合計四本の柱の数から、このような形の門を四脚門といいます。控柱の角の欠き取り部分(面)が大きく、屋根の垂木の先が反り増しているなど、中世建築の様式を今に伝えており貴重です。表門をくぐると両側を築地塀に囲まれた参道が続いており、この風景を愛する人は多く、いかにも奈良の寺院らしい特徴を残しています。

境内

本堂 - 17世紀中期(市指定文化財)

本堂は奈良時代に建っていた中金堂の位置を踏襲しており、深い軒の出と勾配の緩い屋根、それに堂内の柱配置が整然としていることなど、奈良時代の仏堂の様式と似ている点が多く見られます。建立年代は寛文年間(1665年頃)とも伝えられ、江戸時代の建物でありながら古風な造りで、古い伝統建築の様式が好まれた奈良の地域性を見ることができて貴重です。

西金堂 - 奈良時代(国指定重要文化財)

創建当時からの建物。鎌倉時代と昭和40年〜41年にかけて大きな修理を受けてはいるものの、一部に奈良時代の木材を残しています。規模や形式には大きな変更がなく、奈良時代に造られた小規模の堂はこの西金堂以外に現存していないことから非常に価値の高いものと評価されています。

経蔵 - 鎌倉時代(国指定重要文化財)

叡尊により当時が中興された際の正応元年(1288年)に建立され、昭和40年〜42年にかけて解体修理を受けました。高床式であるとともに、この時期の建物の特徴である大仏様の影響を大きく受けていながらも一部には禅宗様が取り入れられており、寄棟造のおだやかな姿が古代の蔵の面影が最もよく残されています。

東金堂跡

創建当時には西金堂と向かい合う形で東金堂が建っていましたが、明治時代の廃仏毀釈の影響を受け、現在は基壇の跡を残すのみとなっています。(創建当時には東金堂にも五重小塔が納められており、東西の両小塔が伽藍を形成していました。)

会津八一の歌碑

しぐれのあめ いたくなふりそ こんだうの
はしらのまそほ かべにながれむ
大正19年(1921)に詠まれた歌であり「しぐれよ あまりひどく降ってくれるな 金堂の柱の真氏iまそお・朱の顔料)がとけて 壁に流れてしまうから」という意味です。「この寺の西金堂の古びた白壁に、柱の色が赤くにじんでいるのを実際に見て詠んだのである」と自註しておられます。