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令和7年の春季特別公開(前期)「十一面観音特別開帳」につきまして

令和7年の春季特別公開(前期)「十一面観音特別開帳」につきまして

令和7年の春季特別公開(前期)「十一面観音特別開帳」について、お知らせいたします。

期日 3月23日(日)~4月7日(月)

開門・閉門時間 9時開門~17時閉門

(閉門時間を越えての拝観はできません。くれぐれも時間にはご注意ください)

・十一面観音特別開帳

海龍王寺の本尊で、光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました。

檜材で金泥が施され、条帛・天衣を掛け、裳・腰布をつけており、頭に天冠台・冠帯・左右垂飾、身は頸飾り・垂飾・瓔珞、手には臂釧・腕釧などの装身具をたくさん身にまとっておられます。衣の部分の彩色は朱・丹・緑青・群青など諸色の地に唐草・格子に十字などの諸文様を切金で表したもので、縁取りや区画の境界線に二重の切金線が多用されており頭飾および装身具は精緻を極め、すべて銅製鍍金で透彫りを多用し、垂飾には諸色のガラス小玉と瓔珞片を綴ったものを用いています。

像は精巧入念な作で、頭・体のプロポーション、頭部の自然な俯きに優しい手の動き、腰のひねりに巧みに応ずる右足の遊ばせ方など彫刻としての基本的なデッサンは確かなものがあり、衣の文様表現では彩色よりも切金が多く、頭飾装身具では、透彫りの技巧の細かな点が注目され、大和路を代表する秀麗な十一面観音様です。

・弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)

般若心経の写経で、隅寺心経として著名な心経です。

各一紙に一部書かれたものを合わせて一〇部をつなぎ、一巻の巻子装に仕立てています。料紙には黄麻紙を用い、淡墨界を施して書写したもので本文の筆跡は各心経同一であり、体裁は首に「心経」と内題を揚げています。

鎌倉時代はじめの海龍王寺文書に《弘法大師が渡唐の無事を祈り、壱千巻の般若心経を書写・納経された》との記述があり現存する心経が「大師真筆の物である」とも合わせて書かれていることから、海龍王寺文書が書かれる以前より「弘法大師真筆の心経」として伝えられていたことがわかっています。

この心経は本文末に功徳文三行を付しており《この心経を読誦すれば、十悪(殺生など十種の悪業)、五逆(殺人など五種の罪悪)。九十五種の邪道(釈尊在世中の九十五種の外道)を破る。もしもありとあらゆる仏を供養し、ありとあらゆる仏の恩に報謝しようと思えば、まさに「観世音菩薩の般若心」(原心経)を読誦すること百遍、千編にせよ。昼夜を問わず、常にこの心経を読誦すれば、願いの叶わないことはない》という般若心経を誦える事による功徳を表しているところがこの心経の特徴です。

・自在王菩薩経(五月十一日経)  二巻  奈良時代

仏の説法中、聴衆のひとりである自在王菩薩が、『如何にして菩薩摩可薩は自在力を得て速やかに菩提を得るのか』を、仏に問う内容が記された経典です。このお経は、天平十五年(七四三)五月十一日に亡親 藤原不比等、県犬養橘三千代(あがた いぬかい たちばなみちよ)の追善の為に発願、書写されたものであり、天平写経の代表的遺巻として尊重されています。光明皇后の願文は両巻にあっていずれも同文ですが、同時期になされた追善菩提の写経には自身を『皇后藤原氏光明子』と記しておられ、皇后としての発願であることを明らかにしていますが、この五月十一日経は願文中に『仏弟子藤三女』と記しておられ、公式の身分を明かさず個人としての願趣を明らかにしておられます。日本で最初に両親の追善菩提の為に行なわれた写経であるといえ、光明皇后が両親への強い追慕の念を抱いておられたことをうかがい知ることができるお写経です。

以上の公開を予定いたしております。

この時期、境内にございます約150株の「ユキヤナギ」も見ごろを迎えますので、合わせてお楽しみいただけます。

「春爛漫のお寺で仏像や歴史・文化、境内を彩る花と、ゆっくり穏やかに向き合っていただければ」と思っておりますので、是非ご参拝ください。